私の
あゆみ
天眞正自源流兵法宗家
嫡流第二十八代綜師範
上 野 景 範
略 歴
天眞正自源流兵法の第27代継承者であった実父、上野靖之源心の長男として、昭和29年9月に鹿児島県出水市で誕生する。
3歳の頃より真剣を手に、父から直伝で天眞正自源流兵法を総合的に学び修行する。
6歳の頃より講談社野間道場で剣道の猛特訓を受け、その頃、父の親友であった森寅雄を剣道の師と仰ぐ事になる。
昭和39年、10歳の頃には父が設立した東京浅草の尚武舘道場で、少年剣道部の稽古を指導する。
剣道、空手、居合道、その他現代武道や古武道を数十年間修業する。
多岐に渡る武道経験を通じて、古稀を迎えた今日も生涯現役、一日一生をテーマに、他流派の武友同志と共に、日々修行の毎日を送り続けている。
次世代への遺産
天眞正自源流兵法は、開祖「小瀬與左衛門尉長宗/瀬戸口備前守政基」が、永正5年(1508年)に創始された日本剣法の御流儀である。
令和6年を迎え、実に開祖誕生の日から起算すれば593年の歳月が過ぎ、流儀創世から換算しても、516年間という気の遠くなる様な時間経過と共に受け継がれてきた。
父・上野靖之源心から、手解きを受け6歳の頃には・・一通りの形と演武が出来る程に成長していた。
父から教えられた天眞正自源流兵法の教えと技術は、父の他界と共に消えるかと思われたが、兄弟子の存在が更なる流儀の蘊奥へと導いてくれた。
父は生前「お前の時代で絶やしても良い」と何度も私に告げたが、それが原動力となり、いつの日か後継者を育てるという目標になった。
20代中頃、先代の高弟数名が東京赤坂で同志を集めて天眞正自源流兵法を稽古していると知らされた。
昭和57年に行われた流祖祭は、先代の高弟達の尽力により有名な映画監督や武道家が参列して盛大に行われ、新聞社などの取材も受けた。
30代後半、父の兄弟子が他界してからは、完全相伝しているという自負を以て本格的に教示しようという思いが徐々に湧き上がって来ていたが、反して、教える事の恐れというものも心の中に芽生え始めた頃であった。
長年学んで来たスポーツ武道などの、勝敗を決める為に学び修練する武道とは異なり、真剣武術は、瞬時にして人を殺す事が出来る一撃必殺の術理を秘めた恐るべき殺人刀剣操法である。
万が一「教えた人が誰かを切り殺したら」その時は、自分自身も責任を取る事が出来るだろうか、と何度もなんども考え悩み抜いた結果、父の菩提寺の和尚が言った「責任を取れると思う人に教えれば宜しいのでは・・・」と。
道は開けた、その通りだと思った、信じた人に教えればよいのだと、そして、教示するという、後継者を育成するという、長い旅路が始まったのである。
今日、その轍を振り返り、多くの過ちも繰り返してきたが、素晴らしい後継者達の成長にも心躍る日々が燦然と輝いている。
全ての同門同志が、同じ道を歩むとは限らない、それぞれが思い思いの道を歩み、それぞれの人生を謳歌し、人を愛し、天眞正自源流兵法に尊崇の念を抱き、更なる後継者を育成してくれれば、それで良い。
日本伝統武術の片隅に咲いた、天眞正自源流兵法という一輪の花は、花のままでよいと思う、大木になる夢を見続けて枯れていくより、日本固有の桜花の様に、人の心に希望を与え、人生をひときわ輝かせる一助となって欲しいと思う。
宗家制度は、最早必要のない時代である。
流儀を志した全ての同志が、全員後継者として更なる後継者をいつの日か育てればそれで良い「我が・・俺が」の時代は終わりである。